気分だけは秋をあじわいたく、芒と秋明菊をいけてみました。
決してじょうずではないでしょうけれど、
自分で考えた取り合わせも、花器におさまった雰囲気も
それなりに気に入っております。
さて、先日レッスンにお越しくださった方が
その方のご主人様は
「きものは格がどうと言うけれど、そんなこと気にせず好きなものを着ればよいのに」とおっしゃるとのことをお話しくださいました。
好きな色、好きな柄をちりばめて装うということは
とても楽しいこと。よくわかります。
きものになじみのない方からすれば
格や決まりについて考えながらきものを選ぶさまは
「なんて不自由でつまらない!」というご意見もごもっともと思います。
普段着については、「好きなものを好きなように」という楽しみ方
わたしも大好きですが
たとえば、誰かの結婚式やお悔やみごとの場に
「自分の気に入っているものだから」と
あえてデニムを身に着けていくことはありえるでしょうか?
ちいさいころからわたしたちは洋服を身近に感じており
場にふさわしい装いや、状況に応じて身に着けるものを選ぶこと
今日どんな洋服を着ようか、ということを選択する力
(つまり、マナーや決まり、おしゃれに見せるための判断基準)を
自然と身に着けています。
お友達の結婚式に、真っ白いドレスは着ないこと
お悔やみごとの場にピンクのくつ下ははかないこと
山登りにスーツやハイヒールを選ばず、Tシャツなど動きやすいものを、など
今日の用向きを考えて、当たり前のように
場に沿うものを選択します。
洋服でも行うこれを、きもののときにもするのは
なんら不自然なことではありません。
「格」という言葉や決まりごとに、
なんだかややこしい・縛り付けるもののようなイメージがあるのもよく分かりますし
ルールから外れたことに対して手厳しい方がいるのも事実でしょう。
でも、ヒラリはきものだけでなく洋服にもルールが存在し
そしてそれは迷った時のための指針であるべきで
きものを着たい人をがんじがらめにするものでも
きものを着たい人を排除するものでもあってはいけないと感じています。
それに、ルールがある中で
少しでも自分らしさを出す工夫も、おしゃれのひとつだと思います。
と、書きながら
スカートやくつ下の長さ、ボタンを縫い付ける糸の色に工夫をした
学生時代を思い出しつつ…